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2010年03月29日

母の影

100_0063.JPG

草餅や七十の吾に母来たり


十四歳の時に無くなった母の顔も、もう、不確かなものとなった。

若い母の写真のままだ。母は年を取らない。



亡くなったときの母の年齢は39歳。本当に若かったのだなあと今

思う。母の代わりというか、母が守ってくれたというか、父は94

歳の天寿を全うした。一週間入院してこの世を去った。其れまで、

元気に物書きをしていたのに。



いま、父の残した随筆集を読みながら、子供の頃の私や妹たちが

蘇り、母が語りかけてくる。

母の口癖を今も覚えている。戦後の食糧不足の頃、「武士の子

は、腹が減ってもひもじゅういない」とか「武士は食わねど高楊

枝」などと、私に向かって良く言っていた。私はその言葉通り、

決して「腹が減った」とは言わなかった。両親は畑に出て、猫の額

ばかりの開墾地で、食料を育て、未成熟のまま収穫をし、糊口を

凌いだのだと思う。軍需物資の配給を大切に保管し、時折、メリ

ケン粉を練って造られるそばの、美味しかったこと。いま、「あ

そこのそばは美味しい。あそこのそばはまずい」とか言っている

が、そばであるだけで美味しいのだ。今は、そんなことを忘れて

いる。食べられるだけで有難い時代に恵まれて幸せである。こん

な素晴らしい時代がくるとは。



posted by かねやん at 03:23| Comment(35) | TrackBack(0) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月19日

猫の恋

痩せてなお声際立つや猫の恋


猫が好きな私は、毎日、えさをやっている猫たちのオスが、突然、

姿を消してしまうことに気づきました。



この時期になると夜中に猫たちの甲高い声があちこちでします。

気になって見に行きますと、街頭に映し出された痩せ猫たちが、

やせ細った雌猫を全力疾走で追いかけています。恋の苦しみにや

つれると人間に対して表現しますが、これはきっと猫のことだろ

うと私は思いました。



最近の草食系男子は、もともとしんなりとしていて肉食系男子の

ように燃え上がることはないのでしょうか。
posted by かねやん at 18:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳句など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月12日

「沖縄昔たび」で取材を受けました。

16日祭.JPG

基は、岩を掘って造った墓でしたが、父の代に改装を済ませて、新たな装いになりました。側に離婚した父の実母が入る墓を増設しました



    島の思い出(石垣島、沖縄本島)    )


地元紙の企画でタウン誌を月一回折り込みで跛行していますが、

その企画「昔たび」の取材を受けました。



久し振りに中学一年生の時、沖縄本島に2日がかりで90トンの木

造船で、旅したことを想い出し、記者との話は、尽きませんでし

たが、記事は一面半分くらいでした。



わたしは、台湾の基隆(キールン)で戦前、小学2年まで過ごし、

終戦一年後に、父の父母の生まれ島、石垣島に帰ってきました。

キールンやタイペイ(台北)とは打って変わり、静閑な田舎でし

た。宮古島までは大きな蒸気船での航海でしたが、宮古島から石

垣島までは、10トンばかりのぽんぽん船にすし詰めにされて、

一昼夜かけてたどり着きました。このときは、船酔いをしました

が、初めて沖縄本当に旅したとき、成長して17歳で海運会社に

勤めたときは、海がどんなに荒れても船酔いはしませんでした。



わたしの島、石垣島は、当時は本当に閑散としていて、住みよい

ところでした。両親は、戦後の食糧難を乗り切るのに、畑仕事を

一生懸命しておりましたが、その苦労がたたって、母は38歳で

亡くなりました。父子家庭になり、本当に爪に火をともすような

生活を強いられた記憶があります。



そんなとき、亡き母の姉たち(既に沖縄本島で安定した暮らしを

していた)が、わたしと直ぐ下の妹を沖縄本島見学に呼んでくれ

ましした。台北の賑わい(週に一回は台北の百貨店「菊本」に母と

通っていたので、人の多さとか、建物の様子)もすっかり忘れて

いて、道の大きさや、人の多さに驚いたものです。



そういえば、確か小学四年(戦後3年)頃、島に、初めて轟音を

とどろかせて、ジェット機が飛んできました。あまりにもすさま

じいい音に、全校生徒が運動場に出て、音の行方を追いました

が、その正体はつかめませんでした。後ほど、「あれはジェット

戦闘機という飛行機で、音より早く飛ぶので、音のするところを

確認しても飛行機は見えないよ」と先生(そのことを知っている

先生も少なかったと思う)に聞かされ、びっくりしました。天地

をひっくり返すような爆発音が、急激に迫り、頭上を通過して、

「キーン」という鋭利な音を残して消えていく、その体験は驚き

でした。戦時中、グラマンやカーチスヤB29が飛来しても、機

影は確認できました。



初めて、沖縄本島に旅したとき、道の大きさや人の多さに驚きの

目を見張ってましたが、わずか2週間ほどの旅の最中、小学校時

代に聞いたジェット機の轟音は、毎日のように頭上をかすめまし

た。その度に、戸外へ飛びだし、機影を探そうとしますたが、遂

に確認することが出来ませんでした。



どうしても、その音の正体を確認したい気持ちでした。幸い、い

とこ達が、嘉手納飛行場に連れて行ってくれました。始めて見る

機体のすごさに唖然としていた記憶があります。飛び立つとき二

つのジェットエンジンから火を噴き出していて、離陸時のスピー

ドにも驚愕したものです。



さて、2週間の旅を終え,帰島し、休み明けの学校へ,いとこ達に

買って貰った半ズボンと開襟シャツを着けて登校しましたら,途

端にハイカラーとか不良呼ばわりをされ、呆然としたのを覚えて

います。


本島の那覇市は、台北ほどにぎわっているとは、当時思いません

でしたが、3年も、小さく、静閑な石垣島の町で生活をしいてい

ると、当時の平和通りや国際通りはものすごく賑やかに感じまし

た。人々も活気に溢れ、通りの側の物売りのおばさん達には戦後

の生活のたくましさを感じました。また、通りの周辺は建築が盛

んでした。4階建てのビルの屋上に上り海側(私たちがポンポン

船で到着した泊の港のあるところ)を展望しますと、まだ原っぱ

が多く、所々に家が有る程度で,一号線(現在の)58号線)が飛

行場のように延々と続いていました。

一号線や国際通りを走る車は、外車(フォード、リンカーンなど)

が殆どで,日本車と言えば,ボンネットのあるバスでした。車はポ

ンコツでしたが,ダークグリーンのランニングで運転するアメリ

カ人の恰好良さは,今でも忘れることが有りません。一昨年、外

国の老人達が国際通りや平和通りを歩いてましたので、どこから

来たのか聞くと、昔、沖縄に転属になり,今は退役して,沖縄が懐

かしくなり,旅行しているとの事でありました。沖縄の変貌振りに

目を丸くしておりました。



この意味で,日本復帰は,間違いではなかったと思います。当時は,

アメリカの一州になろうとか、中国復帰も世間話として(真剣に

考えていた政治家もいたのではないか)聞きましたが、社会運動

のうねりは,基地全廃、全面無条件返還でした。中には,「基地の

ある日本帝国主義の基には還りたくない」という極少数意見もあ

りました。今、本を読み返してみますと,「日本帝国主義を通して

アメリカ帝国主義に組み込まれる事は間違いない」という意見は,

将にその通りでした。

琉球独立論を掲げる方もおりました。ただ、考えますと、琉球は

独立国時代も中国の属国として存立していたわけですから、政治

経済上、困難な事を琉球住民はよく知っていました。いろいろ考

えた上で,日本復帰は必然の出来事だったように思います。



記者との話は,尽きることを知りませんでした。昼頃から始まった

取材も,終わった頃はもう、夕暮れ時でした。


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タグ:沖縄、旅
posted by かねやん at 15:09| Comment(4) | TrackBack(0) | 老人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月08日

句集「なんくるないさ」。

携帯写真0096.JPG

句集「なんくるないさ」の謹呈を受けました。

同期の者で、中学からの友人が、句集を発行しました。

とても、感性的な句集でした。

大変、視点の面白い句が沢山ありました。

たとえば、

「天網は気ままに漏らす鰯雲」

鰯雲は、天にかかった網から漏れ出たものだと言うんです。確か

に、形状は網型をしており、鰯の大群が天空を覆っているような

感覚に囚われます。面白い視点ですね。

ちなみに、

「天網が気ままに漏らす鰯雲」

としたら、どうかなとおもいました。助詞の「は」は、主格の鰯

雲を、とても一般的に引き受け客観視ているように感じました。

俳句は客観描写が重要ですから、きっとこれでいいのでしょう。

ちなみに、「が」は、主格の鰯雲を叙情的に受け止める感じがあ

ります。最も、語源的には、「は」は「波」から来ており、「が」

は「賀」や「我」から来ておりますので、主格助詞に対する作者

の感覚だと思いました。


俳句は、文字がとても少ないものですから、ついつい一字にこだ

わったりする傾向があります。素直な感覚で句作をすることが、

わたしは大切だと思います。
posted by かねやん at 13:06| Comment(1) | TrackBack(0) | ちょっと偉ぶって | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月18日

俳句

公演のぶち.JPG

春愁や言葉を紡ぎ織りきれず


     (蝸牛、仮題「黄昏または落葉」)


自分を語りたいとき、自分以外のことを語りたいとき、わたしは

いつも、「心の唖」のような気持ちを味わってます。



何万言費やしても自分が語れないし、言葉の限りを尽くしても相手

(対象)が見えてきません。。



いったい私たちは、どのようにして了解し合っているのでしょう

か。わたしはよく、「君の言っていることはよくわかる」と発言

して、大いに反発を食らいます。相手が言うには「君に、僕の何

がわかるのか?」と、真っ赤な顔をして言われたりします。わた

しがいくら慰めの言葉をかけ、説明を尽くしても相手には、全く

通じていません。



わたしが今まで会話してきたことは何だったのだろうと、ふと考

えたりします。



こんな事がありました。確か松田聖子さんがアメリカから帰って

きた後のテレビで、彼女のキュートなイメージが無くなり、すっ

かり大人の女にみえたときです。わたしが、

「聖子ちゃんびじんになりましたね」というと・

「君の、美人の基準がわからないね」と言われて、唖然としたこ

とがありました。このときも、「言葉はほんとに不確かで不便なも

のだ」と感じたものです。




タグ:言葉、言霊
posted by かねやん at 18:49| Comment(4) | TrackBack(0) | 感動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自然について



自然は認識の対象でもなく


意志の素材でもない


自然はその中に人間を包んで


生きているものである



    (唐木順三、「詩とデカダンス」より)

西洋文明の洗礼を受けて以来、神の領域である自然は、日本人に

とっても認識の対象となりました。そのこと自体、悪いことでは

ありませんが、このことによって、日本人が本来持っていた自然

観が崩れ去ったような気がします。

「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり・・・・」に根ざした、大

自然の中での人間の無常観が無くなり、

「春は曙、ようよう白う成り行く山際少しあかりて、紫立ちたる

雲のたなびきたる・・・・」とか「つれずれなるままにひぐらしすず

りにむかいてこころにうつりゆくよしなしごと・・・・」などに感じ

る「もののあわれ」の感覚も日々薄れてゆきます。

人間も自然の一部でしかないことは、頭では理解していても、最

近は実感として湧いてきません。人間以外の動物より、あまりに

も秀でた頭脳を持った人間は、自然をも凌駕するのではないかと

思えるほどの傲慢さを持っているのではないかと感じるからです。



対象を認識するとは、客観を極めることです。認識の対象となる

ものは、自然の中にしか無いわけですから、客観を極めるとは、

自然を極める事にほかなりません。そんなことは不可能です。



思うのですが、いま、エコロジーがブームになっていますが、野良猫はな.JPG

のエコは、利便性の追求や企業による消費生活の扇動(たとえば、

賞味期限の問題など)による過剰生産を、人間が止めない限り出

来るものではありません。人間の心の中から拝金主義の考えが無

くならない限り、エコ政策は、出来るわけは無いのです。

報道などに依りますと、日本では、輸入食品の3分の一ほどが、

その役目を果たすことなく廃棄されているそうです。勿体ないで

すね。
posted by かねやん at 00:24| Comment(0) | TrackBack(0) | ちょっと偉ぶって | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月13日

言語の味。

白い小花.JPG


めくら蛇に怖じず


めくら千人、目明千人


めくらの垣のぞき





    差別語を辞書からなくしちゃえば!!


俳句を本格的に勉強したいと思い、インターネットで勉強できな

いかといろいろ探してみたら、無料のネット句会が数箇所あった

ので、参加することにした。これから句作に頭を悩ますだろうが、

ボケ防止にはよさそうだ。

俳句って、意外と知的な遊びかもしれないと不遜にも思ったりし

ている。日本語の使い方がうまくなるのではと思うのだ。

最近の、日本語には、ちっとも面白みがない。差別用語と称して

使用が制限されている。直接的言語だったり、最的確言語だったり、

考え方によっては情緒的言語だったりするのだが、差別だ差別だ

といってこれらの言葉が排斥されていく。大いに疑問だ。表現し

にくくなっている。

「目の不自由な人」「足の不自由な人」、ボケには「頭の不自由

な人」といわなくてなんで「認知症」なんて意味の分からない言

語をつかうのか。「めっかち」「めくら」「ぼんくら」「ちえお

くれ」「びっこ」「きちがい」「ボケ」「みみつんぼ(耳つぶれ)

などなど。ちなみに差別語でない言い方をすれば、「片目の不自

由な人」「両目の不自由な人」「頭の不自由な人(?ではない

かー)」「年相応の知識や知恵に事欠く人(?といっても分からな

い)」「片足の不自由な人」「精神の不自由な人」「認知症」「耳

の不自由な人」。なんと無味乾燥な言語群。

最近、仕事柄、ある消費者金融に電話をし、「○○さんですか?」

と確認すると「あなたから``さん''呼ばわりをされる謂れはない。

ガチャン。」で終わった。再び電話をして「○○さまですか?」

と聞くと「そうです」と応じてくれた。病院でも「・・・・さま」

呼ばわりされるが、何か突き放されているようで、私はいやだ。

高貴語だった「貴様」が、現在では侮蔑語になったように、「さん」

も侮蔑語になりさがったのかなー。

こんな差別語をどうして辞書から削除しないのだろうか。
posted by かねやん at 20:21| Comment(1) | TrackBack(0) | ちょっと大袈裟に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月12日

童話などの本当の意味。

ピンクのハイビスカス.JPG


われわれは裸で生まれ


また裸で死んでいく



                 (イソップ)


イソップやグリムは、まだわたしが小学校の頃、大変面白く読ん

だ本です。息子達にも、絵本やレコードブックや物語を買い与え

ました。どれも、情緒や教訓を含んでいて面白く児童向けに書か

れた者でした。



ところで、本棚の片隅から出てきたこれらの本を読む機会があり、

久し振りに子供時代を想い出したのですが、わたしが読んだのは、

グリムの残酷物語でした。わたしが小学校の頃読んだ印象とは大

変異なっていました。



たとえば「白雪姫」がリンゴを食べて死ぬわけですが、「白雪姫

はリンゴを食べて死にました」とさらっとある所など、実は実は、

妃の謀略に遭っているわけです。百姓女に化けた妃に、リンゴの

半分を食べさせられるわけですが、その食べさせ方が実に巧妙に

描かれていました。

美味しそうなリンゴを白雪姫の目の前で半分にし、その半分を自

分が、残りの半分を白雪姫が、百姓女の甘言に騙されて、小びと

との約束を守れず食べてしまいます。このリンゴ、妃が、巧妙に

造ったリンゴで、自分の食べた半分は無毒、姫に与えた半分は猛

毒でした。姫は、そのリンゴを一口食べるや否や死んでしまった

わけです。



何と、非人間的な怖い話が、童話として世界に広く読まれ手いる

のかと思ったものです。









posted by かねやん at 03:06| Comment(0) | TrackBack(0) | ちょっと偉打って | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月04日

定義付けの必要性!

我が家のピコラ.JPG


死は人生の終末ではない


生涯の完成である

     
        (マルティン・ルター、神学者)


ふと気がつくと、死を定義しようとしているわたしがいることに

気づきます。こんな言葉が目についたのも、きっとその所為だと思いま

す。



私はこれまで、いろいろなことに意味づけをしようと試みてきま

した。生とは何か、生きるとは何か、自分とは何か、神とは何か、

死とは何かなど、いろいろ考えてきましたが、何一つ解決できて

いません。

今では、そう考えることの意味づけを考えている始末です。いろ

いろなことを考える事は、ひとつの人間の性(さが)のようなも

のなのでしょうか、定義付けしなければ安心立命出来ません。



これからも、「・・・・・とは?」と考え続けることでしょう。
posted by かねやん at 05:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 大変、偉そうに | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月03日

大空を見よう!!

ハイビスカスの花D.JPG


ちぎれては雲それぞれに秋意あり


          (俳句12月号 松村多美)

こんなに暇な毎日を過ごしているのに、空を見たためしがありま

せん。頭の動線は、水平か下向きなのです。水平に眺めたとして

も遠くの景色を見ることはありません。

昨日、義妹が、

「綺麗なまん丸い月があがってきますよ。きれいだわあ」と言う

ので、本当に久し振りに夜の空を見ました。



少年の頃、私の田舎では、月のない夜は、満天の星が、湿り気を

帯びた闇の中で、青白い光を放っていました。天の川は、町を切

り裂くように南北に走り、闇夜に息づいていたのです。そんな夜

の天空を、茅葺き家の縁先から、飽きもせずに眺めていた頃もあ

りました。その頃は、天空をリリカルに眺めていたように思いま

す。かぐや姫やギリシャ神話の伝説に浸りながら、きっと、物語

の叙情に耽溺していたのでしょう。

時代はすすみ、宇宙のことが分かるにつれて、神秘とか、神に触

れるような気持ちで空を見上げたのは10代の中頃まででした。

何百万光年の光を覚知して、その意味を知ることになったとき、

本当に驚愕しました。いま見ている光が、1秒間に36万キロ

に達する光で、2百万年かかって到達した光を見ているのだと知

ったとき、計り知れない宇宙の広大さに、ただただ驚嘆したもの

です。

「200万年前の光」。そう思ったとき、この光は、今は、もし

かしたら無いのかも知れないと、時の長大さに畏敬の念を抱きま

した。



宇宙の果てでは今も、光速より速い速度で宇宙は広がっていると

天文学者は言ってます。いったい宇宙には限界があるのでしょう

か。そんな宇宙の無限の時間と空間を考えるとき、私は、自分の

命の「無」を自覚するのです。この世で体験した70有余年はい

ったい何だったのかと、考えることもしばしばです。宇宙の眼は、

もしかしたら、私の存在を確認出来ないのかも知れないとただた

だ恐れ入るばかりです。


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posted by かねやん at 04:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 感動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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